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菅井秀樹

オフィシャルブログ   

 

「🎵大地讃頌」が音楽の授業をダメにしている。

執筆者の写真: 菅井秀樹菅井秀樹

【「大地讃頌」が音楽の授業をダメにしてる】


昨日のクラシック鑑賞講座の後で受講者の方とお茶の時間中に出た話です。


「NHKの『みんなの歌』ってだいぶ昔と変わりましたね。」


「なんだかポップスみたいでよくわからない。」


「最近は『北風小僧の寒太郎』とかやらないんですね。」


う~ん、そうなんですよ~❗


そこで参加者の皆さんにお話ししたんですが、

一昨年の話ですが、インドの学校で一緒に活動した東京の某有名大学4校の学生さん5人


「🎵しゃぼん玉」

初めて聴いた。


「🎵ふるさと」

メロディーはわかるけど、1番の歌詞もわからない。


だそうです。


先日、「🎵宝島」が吹奏楽をダメにしてると書きました。


同じように「🎵大地讃頌」が合唱と音楽の授業をダメにしてないでしょうか?


「🎵大地讃頌」

大好きな方が多いですし、どこの学校でも歌うので文句を言うのはちょっと叩かれそうですが、誰も言わないから言う‼️


あれって綺麗な美しい合唱曲だと思います?


私は全く思いません。


ハッキリ言って、叫んでたら曲になってしまうし、何より合唱で大切な和音が美しくない。

むしろ汚い。


何故かと言うとバッハがよく使う対位法のようにメロディーをいくつかズラして重ねることで曲が出来ています。


つまり他のパートとのハーモニーを聴くというより自身のパートをしっかり歌えば曲になってしまうのです。


あの合唱曲よりももっと美しい素晴らしい合唱曲はたくさんあります。


「🎵大地讃頌」はカンタータ「土の歌」の最終曲です。


最初から歌ってこそ、最後の曲が生きてきます。


でも暗くて美しくないカンタータなんですよ。

反戦歌だからでしょうか。


それに作曲者の佐藤真さん

他に代表作は「旅」くらい。


その「旅」も「土の歌」も最近では滅多に歌われなくなっています。


ということは作曲者には大変失礼ながら、それなりの価値しかないということです。


そうやって過去、何万、何億、いやもっとかもしれない楽曲の数々が歴史に埋もれてきたのです。


何百年経っても残っている楽曲はその歴史の審判に耐えてきたワケだから、当然、名曲であることは言うまでもありません。


それから、中学生で混声四部合唱をやるのは成長過程に則していません。


変声期が始まったばかりか、真っ只中の生徒にかなり無理をさせていると思います。


バスパートなんか歌えるのは2年生3年生でも一部の生徒さんたちです。


だからバスを除く三部合唱でやっていたりする。


本来、合唱曲は四部合唱でこそ、美しいハーモニーが創れます。


私は混声三部合唱の曲で綺麗な曲だなと思う楽曲に巡りあったことがありません。


三部って不完全なんですよ。


しかしながら、生徒の成長過程を考えたら、混声三部合唱にするしかないのです。


「大地讃頌」の指導でよくあるのが1年生と2年生はバスパートなしの三部合唱


元々、不完全な形態の上に四部合唱の曲を改編してまでやらせるのはどうなんでしょう?


四部合唱で歌っている学校もバスパートの一部を原譜の通り歌わず、オクターブ上に上げて歌っています。


作曲者の意図とは異なりますし、下手すると著作権侵害では?


また最も問題なのは大曲をやることで週1時間、年間35時間(1年は45時間)しかない貴重な授業が割かれます。


普段から「大地讃頌」歌うことによって、文化祭・音楽会・校内合唱コンクールや市中音楽会ではもっとスゴい歌をやらなくてはならなくなってしまいます。


そのため「大地讃頌」と同じくらいか、それ以上の大曲や難曲に取り組んでしまいがちです。


当然ながら、音楽の授業では練習時間が足りなくなるので昼休みや放課後使ってまで練習するという事態になってしまいます。


私もやりましたけれど、たいていはどこの学校でもやっていて、それを美談にしてしまうことが多いんですが、大問題とは思いませんか?


授業の方は授業の方で結果として鑑賞授業や教科書の歌の授業は扱う時間が減るか、全くなくなります。


現在の学習指導要領には必修教材、共通教材という概念がなくなってしまいましたが、「荒城の歌」「浜辺の歌」「早春賦」等は以前はやらなくてはならない必修教材でした。


それらをやらずにやっていたワケですよ。


学習指導要領は法的拘束力があるので多くの先生方は違反してたことになります。


鑑賞教材にしてもテスト前に数回聴かせて、感想書かせて、「テストに出るから、教科書読んどけよ」で終わらせてる先生がなんと多いことか。


昨年の休校時も先生方が出された課題


キチンと教えてないのにも関わらず、楽曲分析のような難しい課題を出されている先生たちがなんと多いことか。


教えてないことを出すのはおかしなことですし、もしそれが出来てしまったら教師の存在意義・存在価値はありません。


また「なんて感想を書いたらよいかわからないので教えてください。」という質問がたくさんありました。


おかしいと思いませんか?


感想を教えてくださいって???


そこで「他人から聞いた感想パクるよりも正直に何度も聴いたけれど、何も思い浮かびませんでした。わかりませんでしたと書く方がいい。本当のあなたの気持ちなのだから。」と返事をしています。


音楽教師に指導不足によるものですから、その先生に突き返してやりなさいと言ってるのです。


単に「曲を聴いて感想書け」では先日の塾の指導でのことを書いた投稿のように想像力や感じる力が育っていない現代の生徒たちですから、思ったことや感じたことを言葉に出来ないし、酷いことに何も感じないことも多いのです。


自分なりの言葉で感想を書かせるには感性を育てることと、思ったことや感じたことを言葉にするトレーニングを普段からやっていなくてはなりません。


音楽を聴くのにも感想を書くのにも実はセンスがいるのです‼️


私がクラシック鑑賞講座やっていて、よく感じることなのですが、参加者の方々が学校でキチンと教わってきていないな、先生たちがちゃんと良さを伝えてないなと思うことがほとんどです。


私は現役教員時代、鑑賞の授業をとても大切にしてきましたがそれでも伝えきれていないとずっと感じておりました。


大人になったら、ほとんどの方が合唱やるよりも音楽聴く方が圧倒的に多いのになぜ合唱ばっかりやるの???


私はずっとおかしいと思ってきました。


シニアの方が公民館等で童謡・唱歌を歌うのは何故でしょうか?


何かの時につい口ずさみたくなる歌


お母様が認知症を患っても大好きな唱歌は歌われていたそうで、息を引き取る際にご家族が耳元で歌われたというお話を聞きました。


ところが唱歌は学校でほとんど歌われなくなり、現在、幼稚園・保育園でも童謡をやらずにポップスあるいはポップスのような歌を歌うことがほとんどだと聞きます。


母に子守唄を歌ってもらってない子どもさんも多いのでは?


上に書いた学生さんたちが童謡・唱歌を歌えないのは音楽教師や親の責任です。


私はそんな想いもあってクラシック鑑賞講座、童謡・唱歌教室に強いこだわりがあります。


童謡や唱歌には日本人としてのアイデンティティーと子どもたちへの配慮、深い愛が込められています。


昔の作詞家・作曲家が本気で書き上げた作品の数々です。


「大地讃頌」等の大曲、難曲よりもやるべきことがあるのでは???


不易と流行


先人たちの想いを次世代へ繋ぐ、不易を求めるのも大切だと思います。

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